「たそがれ清兵衛」以前、ある場所に投稿したレビューです。でも、その時、『レビュー』=『紹介』だと思い込んでいましたので、ネタバレバレの内容になっています。 「最後の結末まで書いてしまったのは・・・(^^;)」というご批評をいただきました。 それでもよろしかったら、どうぞ~♪ ********************************** 男は粛々と生きた。 この映画は東北のある小藩の下級武士の姿が、娘の目を通して語られている。 男は、妻を無くし、ボケの始まった老母と幼い二人の娘と穏やかなつましい日々を過ごしている。日々の暮らしに終われ、仕事が終わると、同僚の誘いにも耳を傾けず帰宅することから、男はその名で呼ばれた。伸びた月代、よれて垢じみた着物、破れた足袋。生活に追われる男の姿をカメラは顕わに映し出す。 藩主のお蔵見回りのとき、長く風呂にも入らない男の異臭に気づかれ、男は周囲から嘲笑の目で見られることになる。そんな縁を恥じ、再縁を薦める親戚に男は語る「私は、この暮らしを惨めと思っていない。二人の娘が日々育っていくのを見ているのは、畑の作物や草花の育成を眺めるのに似てとても楽しい。」と。夜、かわやへ行くおばあに寄りそう妹娘。豊かさの中で切り捨てられそうな弱者へのいたわりが、当然といった形でここにはある。 ある日、酒乱の夫と離婚して実家に戻っていた親友の妹が訪れる。「ともえさんがおいでになると家の中がぱあっと明るくなったものです。」妹娘の口を借りたナレーションと共にカメラには、手遊び歌を歌いながら遊ぶともえと娘たちの姿、その隣の部屋で、内職の竹籠作りをする男の姿が映し出される。ひさびさの明るい団欒にはしゃぐ娘たちの姿に、普段の毎日の寂しさが思いやられる。 ともえを送っていった先で、男は、酒を飲んで暴れるともえの元夫に会い、ともえの兄の代わりに元夫と立ち会うことになる。腕が立つというその夫を棒切れ一本で倒したことで,男の名は口止めしたにもかかわらず、城下に噂されることになる。うわさを聞いて現れた一人の男「余呉善右衛門」。この男の陰のある風貌が、この先、男の身の上に大きな出来事を招くことを匂わせている。立ち会おうというのを「私は、道場の末席をけがしていただけの腕。とてもわたしなどのおよぶところではない。」と、男は、断りを入れる。 この先、ともえはよく男の家を訪れる。平和な一家の姿をこの時代の日常生活からかんじさせてくれる。布団の打ち直しを手伝う娘たち、雨の日は、手習いを教え、縫った着物を着せて祭りに連れて行くともえの姿。 ある日、川原で釣りをする男とともえの兄。ともえを嫁にもらってくれという話を男は断る。「それは夢のようなことだが、妻として迎えるのとは話が別だ。400石のお嬢様には、50石の平侍の暮らしがどんなにつらいかわからない。はじめはいいが、3~4年立ってこの50石の暮らしが ずっと続くと思うときっと後悔する。」と。穏やかな川の流れには,飢饉で死んだ百姓の死体が流れ、この国の厳しい生活が想像させられる。 ある夜、男の家を上役が訪れる。一緒に家老の家に行ってくれと。そこで男は、以前出会った陰のある男、余呉善右衛門を討つように命ぜられる。 余呉は、切腹の藩命を受け入れず、自宅に立てこもっていると言う。長い間、戦いの場から遠ざかっていたこと、戦うための獣のような感覚を失ってしまっていることを語って、その話を断ろうとする男に家老は「問答無用」の一言で決行を命ずる。主命に抗えずそれを受ける男。 余呉善右衛門は、薄暗い家の中で、男を待っていた。家の前には、余呉に討たれ死んだ侍の死体。家に入ると薄暗い家の中、ハエの羽音、差し込むかすかな光、不気味な雰囲気がかもし出されている。余呉は、酒を勧め、男に長い浪々の暮らしを語る。顔の輪郭に現れた討手を待ちながらの数日の憔悴を、かすかな光が浮かび上がらせる。腹を切るのは嫌だ、逃がしてくれという余呉の身の上話に、身につまされて男はその気になる。だが、男が暮らしのために刀を竹光に変えた話をしたとたん、余呉の顔つきが変わる。突然襲い掛かる余呉を男は、自分も手傷を追いながら、小太刀で切り伏せた。 貧しくどうしようもない生活の中で、内職の賃上げの交渉をしながらでも、男は凛としたものを感じさせる。それは、秘めた一つの自信から来るものであったのだろうか。 男は、家族を支え、表に出ることのない力で自藩を支え、維新の世に散った。 |